#26 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 22:48:16
一般的には、イエス・キリストを救い主だと信じてその信仰を告白し、教会で洗礼を受けた人を示す言葉だと思います。
クリスチャン、という言葉の元が、初期キリスト教会の人たちを指して「キリストさん」ぐらいの意味で周りから付けられたあだ名なんです。もっと小馬鹿にした感じで「キリストもん」ぐらいのニュアンス。
それを自分たちで名乗り出して、クリスチャンという名称が一般的になったそうです。
リッチさん、こんばんは。
そうですね。牧師さんのいうとおりです。
牧師さんのいう「イエス・キリストを救い主だと信じてその信仰を告白」というのは、ペテロ第一 4章16節の「クリスチャンとして苦しみに遭う」、13節の「キリストの苦しみにあずかる者となって」という意味も含まれると思います。
ここでも「信じる」(思考)、および「告白」(結論の導出・決断・決定)のプロセスがあります。さらに実行行為として、「クリスチャンとして苦しみに遭う」「「キリストの苦しみにあずかる」ということも加わります。
これは私の主観です。他の人の考えを批難してわけではありません。宗教的な行事にあずかる行為がクリスチャンである意味づけとしても、その人の思考の自由であり私は何も言えません。
また、「教会で洗礼を受けた人」「洗礼」(実行行為)については、宗派によって諸説があります。
#27 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 16:05:30
どちらかというとリッチさんの定義のほうが一般的で、
土の器のかけらさんのお考えのほうが独特ですよ。
真のクリスチャンの重要な条件とは何ですか?
irisさん、こんにちは。
ですから、リッチさんの定義ではなく私自身の主観でよいのかという確認をしました。リッチ さんからも、「「今私が訊きたい事は、私が考えている『クリスチャン』ではなく、あなたが考えている『クリスチャン』での定義ですから」と許可されました。これが今までの経緯です。
当初から、ペテロ第一 4章15節から19節など聖句として提示していますが、私が特に重要と考えているのは、16節の「クリスチャンとして[苦しみに遭うの]であれば、その人は恥じることはありません。むしろその名によって神の栄光をたたえてゆきなさい」というところです。また、13節の「キリストの苦しみにあずかる者となっていることを歓びとしてゆきなさい」も同じような意味になると思います。
新共同訳など他の翻訳では少し異なるようですね。他の翻訳や参照聖句を調べてみたいと思います。尚、私が参考にしたのは、『洞察,第1巻』807–810ページ「クリスチャン」です。同書では「油そそがれた追随者」という表現もされていますが、私の主観で「神の家(霊的神殿)の者」を選びました。どちらでも構いません。#241で「神の家」の考察をしています。
これは私の主観です。正しいかどうかについては述べていません。また、他の人の考えを排除するものではありません。
#28 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 11:47:25
runさん、こちらこそ、ありがとうございます。
私にとっては、神の家とは「エルサレムの霊的神殿」または「エルサレム神殿」というイメージがわかりやすいと思いました。「生ける神の教会」というのもロマンがあります。
少しづつわかりやすい言葉を考えていきたいと思います。
https://youtu.be/zWsvWCWU13k
#29 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 11:01:34
今日,エホバの家とは,エルサレムその他の場所にある石造りの建造物ではなく,わたしたちがキリストの贖いの犠牲に基づき崇拝においてエホバに近づくための取り決めのことです。
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2009 … E%B6&p=par「エホバの家とは,…エホバに近づくための取り決めのことです」とは何ですか?JW用語ですか?聖書で聞いたことがありません。
もう少しわかりやすい表現をすれば、エホバの家とはエルサレムの霊的神殿のことですが、そこには、「イエス・キリストの犠牲を通して人間の贖罪を行なうために神が定められた取り決め」「イエスの血によって聖なる場所へ入る道」 があります、と言い換えることができるかも知れません。(ヘブ 9:11,12)
『洞察,第2巻』19–20ページ 「聖なる場所」の「象徴的な意味」という箇所に詳細な説明がされています。かなり難解な日本語訳の言い回しですね。
#30 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 10:27:01
「ベテルに いったよ」という賛美の参照聖句は詩編122:1です。
詩編 122:1
人々がわたしに,「エホバの家に行こう」と言うとき,わたしは歓んだ。♪「ベテルに いったよ」の歌詞
ベテルに行ったよ 神の家に
家族で楽しく見学したよ
愛するベテルの兄弟たち
いっしょうけんめい働いてるよ※ ベテル 「神の家」
エホバに仕えるところ
ベテル 「神の家」
ここでの奉仕は最高書籍や聖書が作られてる
王国のたより 伝えるために
見学に行こう すごいんだよ
エホバのみ業をこの目で見よう
(※繰り返し)どう見ても、「エホバの家=神の家=ベテル・ホーム」となっちゃってますよね。これじゃ勘違いされても仕方ないでしょう。
run さん、丁寧な説明をありがとうございます。
「ベテルに いったよ」の歌詞は子ども向けにアレンジされています。確かに、この歌詞だけでは勘違いするかも知れませんね。そのため、詩編 122:1の注解もされると思いますが、地域によって違うこともあります。
詩編 122:1の「エホバの家」については、引照聖句の詩編 27:4では「神殿」と表現され、詩篇の他の聖句でも「神殿」と書かれています。また、ミカ 4章2節で「来なさい。エホバの山に、ヤコブの神の家に上ろう」と書かれていることから、ベテルではなく霊的または象徴的なエルサレムの神殿であることが明らかです。
私は、ミカ書の「ヤコブの神の家」の預言成就を「ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居」とすることができません。しかし、そういう人がいたとしても何も言えません。
#31 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 08:54:51
#32 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 08:34:40
つまり、神の家に属するのは天的級のクリスチャンであって、地的級のクリスチャンはそうではないと考えておられるのですね。
では、「神の家の者たち」でかまいません。
今私が訊きたい事は、私が考えている「クリスチャン」ではなく、あなたが考えている「クリスチャン」での定義ですから。
runさん、お返事ありがとうございます。
「私は自分自身が、ペテロ第一 4章15節から19節などのクリスチャン、神の家の者であると思いません」というのは、リッチさんの質問の前提での答えです。他の人の考えではなく私個人の主観です。明確に示すことを怠りました。これからは注意します。
少し理解の異なるところがありますが、私の考えではクリスチャンとはペテロ第一 4章15節から19節の「神の家」の人たちのことです。また、#223で「『クリスチャン』とは、『油をぬられて』天に招待されている人々のことに限定されるという考え方があります。(ペテ一 4:16)」と書きました。
これは、私個人の主観で、他の人が「神の家=ベテル・ホーム」と考えていることとは問題がありません。
オンラインライブラリーで「神の家」を検索した結果上記のような説明があったからです。しかし今改めて検索してみても、どこに記されていたか なぜか探せなくなっちゃいました。しかしGoogle検索ではトップにありましたので、それを貼り付けたいと思います。
あと、「ベテルにいったよ」という賛美の歌詞にも、「ベテルに行ったよ 神の家に 家族で楽しく見学したよ 愛するベテルの兄弟たち いっしょうけんめい働いてるよ」とありまあしたので、「神の家=ベテル・ホーム」というのがJWの教えなのかと思いました。
丁寧に教えていただき感謝しています。Googleは検索履歴、閲覧履歴で表示されますから、runさんと私が同じ表示とは限りません。runさんが教えてくれたページを探してみます。
また、賛美の歌の歌詞は筆者のイメージがあるので、そのままではなく掲載されている聖句も併せて読んだ方が理解できると思います。
日本語に翻訳されたものは、制限された文字数で書かれていることもあり、難解な表現が多いと思います。
その場合、私は引照聖句で意味を判断します。聖句の翻訳は幾つかあるので正確な理解に近づくと思います。それでも意味がわからない、意味が通じないときはギリシャ語をそのままカナ表記で用います。日本語に翻訳するとと余計にわからなくなる言葉もあります。
#33 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月10日 03:38:16
土の器のかけらさん、初めまして。
土の器のかけら さんの発言:私は自分自身が、ペテロ第一 4章15節から19節などのクリスチャン、神の家の者であると思いません。
上の発言を拝見し、ちょっとびっくりしました。
もし、「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」と捉えておられるのでしたら、それは聖書的な教えではありません。聖書の教える「神の家」とは…
Ⅰテモテ 3:15
万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。「教会」という訳は、新世界訳では「会衆」と訳されています。
もし貴方が会衆の一員であれば、貴方はもうすでに神の家の一員であることを聖書は教えています。
runさん、はじめまして。
私の書いた文章が「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」という内容になっていましたら、申し訳なく思います。誤解を与えたことを深くお詫びします。
私は、ペテロ第一 4章15節から19節などからクリスチャンは神の家の者と考えています。特に、17節で「[今]は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです」と記述されています。16節の「 クリスチャンとして[苦しみに遭うの]であれば」のクリスチャンと同じ意味で「神の家」を指しています。
また、『洞察,第2巻』672–682ページ 「復活」によると「『神の家』であるそれらの人たちは、ペンテコステの時の成員をはじめとして、クリスチャンの歩みを続ける間、ずっと裁きのもとにあります。(ペテ一 4:17)」と説明されている文章表現からも、クリスチャンとは神の家のものであると考えました。
したがって、私は「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」であるとは考えていません。テモテ第一 3章15節の「真理の柱また支え」と同じで、「神の家」も霊的または比喩的な用法だと思います。
runさんが提示したテモテ第一 3章15節と併せて、エフェソス 2章19節、ヘブライ 3章6節、テモテ第二 2章2節などからも考えることできます。
runさんのご指摘にこころから感謝するとともに、誤解を訂正します。今後とも至らないところがあれば、どうぞご遠慮なく指摘してください。
もし、よろしければ、どのような理由で私が「神の家=ベテル・ホーム=ものみの塔協会の本部や支部事務所で働くクリスチャンの自発奉仕者の住居のこと」と捉えているという誤解を与えたのか教えていただけるでしょうか。自戒するための参考にしたいと思います。
#34 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月09日 23:41:06
#35 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月09日 23:32:51
では、「神の家の者たち」でかまいません。
今私が訊きたい事は、私が考えている「クリスチャン」ではなく、あなたが考えている「クリスチャン」での定義ですから。
もう一つ曖昧なところがあります。「肉体的、精神的に傷つけるような偽りを行うか」という箇所の意味が曖昧です。
「肉体的、精神的に傷つけるような裁きを行うか」「肉体的、精神的に傷つけるような処罰を行うか」「肉体的、精神的に傷つけるような試練を与えるか」ではありませんか。または「肉体的、精神的に傷つけるという加害行為をするか」という意味ですか。
リッチさん、お手数ですが、「偽りを行う」の意味を説明してください。
#36 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月09日 23:20:00
#37 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月09日 13:55:17
5のクリスチャンは、聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者とします。
「5のクリスチャンは、聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者」ということですが、リッチさんの前提条件では真のクリスチャンではなく自称クリスチャン、偽クリスチャンになりますが、それでよろしいですか。真のクリスチャンの重要な条件が欠落している自称キリスト教信徒という意味ですか。
では、あなたの主観が定義するクリスチャンでもかまいません。どういうのがクリスチャンか教えて下さい。
私は、クリスチャンとは「神の家の者たち」だと考えています。リッチさんとは異なりますね。
このように見解の相違があります。リッチさん、どうしますか。
#38 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月09日 10:01:18
#39 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月09日 09:31:08
#40 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月09日 08:38:51
#41 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月09日 07:09:22
ローマ 5:12などにあるように、聖書全体の文脈からわかると思います。
一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入ったということは、対極には罪のない完全さと死ぬことのない体があるということになります。創世記の著者は間違いなく最初の人間を、完全で永遠の命を持った人物に設定しています。土の器のかけらさんの話だと、イエスの犠牲も全く意味のないものになってしまいます。
三太郎さん、「創世記の著者は間違いなく最初の人間を、完全で永遠の命を持った人物に設定しています」というのは正しい理解だと思います。
しかし、それは命の木の実を食べた後の人間の命が不老不死ということです。アダムとエバはまだ未熟でした。
そこで、「命の木」、クシュロン、十字架伝説が数多く生まれました。ありふれた既知の物語です。
https://youtu.be/sEFM_JftIyk
#42 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月09日 06:21:49
致死量をはるかに超える青酸カリを服用した時に、あなたは必ず死にます。
では、致死量を超える青酸カリを服用しなければ、死なないのでしょうか?
他に死因はたくさんありますよ。突然心筋梗塞が起こるとか、交通事故に遭うとか。
土の器のかけらさんがおっしゃるのはそういうことでしょう。
>それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである
ですから、食べなかったら死ななかった訳です。
irisさんのいうとおりです。他にも死因がたくさんあるでしょう。
私の考えでは、三太郎さんのいう「元々完全で死ぬこともなかったという発想」ではありません。akameさんの「ですから、食べなかったら死ななかった訳です」というのを知識の木に限定すればそのとおりです。
しかし、アダムとエバの人間としての状態を考えれば、別の機会に風のささやきを聴いて、別の実行行為をします。その結果、利己的な自己愛によって創造者に背く実行行為をすることになり、偶像崇拝の罪を負うことになると思います。(創 3:6,17)
irisさんのいう「他に死因はたくさんありますよ」というのは、こういうことでよろしいでしょうか。
akameさんのいう「ですから、食べなかったら死ななかった訳です」というのが、偶像崇拝しなければ死ななかったという意味でしたら、そのとおりです。
#43 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月09日 01:25:01
早い話が、もう私とは議論したくない、という事ですか。
私は、最初に「要望があれば」と書きましたが、それは私の主観、考えることができる範囲なら答えるという意味です。その前提を提示していなかったため、ジョエルさんからも注意されました。
クリスチャンとは何ですか。リッチさんはその意味がわかっていますか。言葉の意味づけがない前提で話し合うことができますか。無理です。
私は、クリスチャンとは「神の家の者たち」だと考えています。リッチさんとは異なりますね。リッチさんは聖書を読むことを拒絶しました。私はリッチさんに強要できません。聖書を読まずにクリスチャンの意味づけができますか。
したがって、前提が曖昧で意味づけができていない状態では討議ができません。まず、言葉の意味づけを明確にしてから、リッチさんの疑問について共に考えませんか。リッチさんへのお願いでした。
私はリッチさんの人格を否定しているわけではありません。
#44 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月08日 21:59:11
土の器のかけら さんの発言:「3・聖書の神は文字通りなんでもできる能力、どんな事でも実現する力を持っているか。」に書き換えてよろしいですか。そうであるとしても、は前提が漠然として曖昧なので「答えられません」に訂正します。
何の前提が曖昧なのか指摘してください。
リッチさんが用いる言葉の意味づけがわかりません。私にとっては曖昧すぎるという意味です。私には答えられません。
土の器のかけら さんの発言:4の「被造物に限り」に、リッチさんは「混沌と神自身は除く」という前提条件を付加するのですか。そうなると、次は混沌の意味づけがわかりません。
私はその前提をつけていません。
土の器のかけらさんが「被造物にかぎり」と書いたので、聖書の創世記の中で神が作っていないものといえば、神自身と混沌の事なのかと思いましたが。
被造物ではないものって何をさしてますか?
それでは、まずリッチさんが用いる言葉の意味づけをしてください。しかし、どこまで討議しても私の主観であることに変化がなく、リッチさんの脳内の思考を私は認識することができません。
土の器のかけら さんの発言:「5のクリスチャンは、聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者」ということですが、リッチさんの前提条件では真のクリスチャンではなく自称クリスチャン、偽クリスチャンになりますが、それでよろしいですか。真のクリスチャンの重要な条件が欠落している自称キリスト教信徒という意味ですか。
では、あなたの主観が定義するクリスチャンでもかまいません。どういうのがクリスチャンか教えて下さい。
リッチさんに既に私の主観を知らせていますが、リッチさんは読んでいませんか。ペテ一 4:16などの聖句で意味づけされているクリスチャンです。(ペテ一 4:15, 16, 17, 18, 19)ヨハネ 6:44も読んでください。
しかしながら、私はリッチさんに聖句を読むことの強要できませんから、言葉の意味づけができませんね。意味づけができないので、私には答えられません。すみませんでした。
土の器のかけら さんの発言:結論として、リッチさんが用いる言葉には、リッチさん独特の思考、主観による意味づけが多いため、コミュニケーションが難しく返答することができません。
こちらは土の器のかけらさんの方が客観性が無いと感じています。
リッチさんのいうとおりです。再び繰り返しますが、私の主観ですと告知しました。
リッチさんとはコミュニケーションが難しく返答することができません。
#45 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月08日 19:58:39
土の器のかけら さんの発言:3は「能力」の意味が曖昧なので答えることができません。4は「被造物における」という前提での答えです。別の前提でしたら違います。
5はリッチさんによる「クリスチャン」の前提がわからないので答えられません。「クリスチャン」とは、「油をぬられて」天に招待されている人々のことに限定されるという考え方があります。(ペテ一 4:16)3全能は、どんな事でも実現する力。とします。
5のクリスチャンは、聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者とします。4の「被造物に限り」というのは、混沌と神自身は除く、という意味ですか?
「3・聖書の神は文字通りなんでもできる能力、すなわち全能を持っているか」の質問を「3・聖書の神は文字通りなんでもできる能力、どんな事でも実現する力を持っているか。」に書き換えてよろしいですか。そうであるとしても、前提範囲が曖昧なので答えられません。
4の「被造物に限り」に、リッチさんは「混沌と神自身は除く」という前提条件を付加するのですか。そうなると、次は混沌の意味づけがわかりません。地球上に限るのか、地球外も含まれるのかという範囲もあります。4は前提が漠然として曖昧なので「答えられません」に訂正します。すみません。
「5のクリスチャンは、聖書を信じ、聖書の神の教えを守ろうとつとめ、聖書の神を崇拝する者」ということですが、リッチさんの前提条件では真のクリスチャンではなく自称クリスチャン、偽クリスチャンになりますが、それでよろしいですか。真のクリスチャンの重要な条件が欠落している自称キリスト教信徒という意味ですか。
結論として、リッチさんが用いる言葉には、リッチさん独特の思考、主観による意味づけが多いため、コミュニケーションが難しく返答することができません。
これは、私がリッチさんの意見や批判に反対しているという意味ではありません。
#46 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月08日 03:42:25
一応現役さんへ
創世記3:3では「でも、園の真ん中にある木の実を[食べること]について、神は、『あなた方はそれから食べてはならない。いや、それに触れてもならない。あなた方が死ぬことのないためだ』と言われました」という聖句があります。
この聖句の「あなた方が死ぬことのないためだ」というのは、出エジプト記 19:12の「その端に触れてもいけない。この山に触れる者はみな必ず死に処せられる」という聖句と同じだから、処罰のことであるという考えがあります。
しかし、創世記3:3の「あなた方が死ぬことのないためだ」という聖句は、「神はこう言われました」というエバの言葉です。神の言葉そのものではなく、女が「蛇」(または「風」)に「神によって必ず死に処せられる」と答えたというだけです。女は神の言葉と違う内容を答えたという聖句です。
創世記3:3について、別の解釈がありましたら、どうぞご教示ください。
【聖書=神からの書物=人間による改竄・創作はない】・・という前提でのお話しからは卒業していますので・・・
ごめんなさい、聖書そのものの解釈は無意味と思っていますので失礼しますね(*^-^*)。
akameがそう言われる場合は、退散します。すみません。
#47 Re: 総合フォーラム » 根元的疑問諸々 » 2017年02月08日 00:08:08
その中にあって、人間は元々完全で死ぬこともなかったという発想は、いやよく思いつくなあといった感じです。
逆にそうであったからこそ、永久不変のもの、完全なものを求め、それを想定するようになったのか。
この考え方には民族の特殊な背景が関係してるのでしょうか。
砂漠の厳しい自然環境の中で生き抜き、地政学的リスクの高い環境の中で民族を統率しなければならない、そういう状況の中で死の恐怖を克服する方法を模索する過程の中で生まれたものなのか。宗教とはどのようにして発生したのかという視点で見ることも大事だと思います。
最初から聖書の物差しで物事を推し量ると、出口のない迷路に嵌まり込むような気がします。
>元々完全で死ぬこともなかったという発想
有機体としての不死は自然界から観るとあまりにも突飛です。
私的には「不死の状態」の発想は別次元の記憶の残像のような気がしています。
三太郎さん、akameさん、横からすみません。念のため、創世記の記述を確認してください。
聖書では、アダムが創造されたときの命は未確定の命であり、「死ぬこともなかった」命ではありません。
創世記2:17では「善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」と警告されています。
神が「食べたら殺す」、消滅させると言われたのではなく、「食べると死んでしまうから、 死んではいけないから、だから食べてはいけない」と警告したということは、そのときの人間の命は死ぬ可能性がある命だからです。(エゼ 3:18「あなたが彼を生き長らえさせるために実際に彼に警告し」)
私は、この聖句を読んで、死ぬことがある命だと思いました。ですから、「元々完全で死ぬこともなかったという発想」ではなく、エデンで誕生した人間の命は円熟する過程の未確定の命であり、不老不死というのは命の木クシュロンの実でいやされた後の命のことだと思います。(イザヤ 25:8; 33:24; 啓示 21:4,5)
#48 Re: 親睦・相談 » 投稿者へのご意見箱~議論に無関係な意見はこちらへ~ » 2017年02月07日 23:47:08
あなたの主観の中でのエホバです。
ここはエホバの証人の掲示板なので、「エホバ」を採用しましたが、あなたがエホバという言葉で神を表したくないのなら「聖書の神」と言い換えてもよいです。
よって書き換えて、1・聖書の神は実在するか。
2・聖書の神は約束を守るか。
3・聖書の神は文字通りなんでもできる能力、すなわち全能を持っているか。
4・聖書の神は起こった出来事に対しては全て知っているか。
5・聖書の神はクリスチャンを肉体的、精神的に傷つけるような偽りを行うか。という質問に変えます。
リッチさん、ありがとうございます。
私の主観、私のこころの中の「聖書の神」という前提でしたら、1、2、4は「然り」です。3は「能力」の意味が曖昧なので答えることができません。4は「被造物における」という前提での答えです。別の前提でしたら違います。
5はリッチさんによる「クリスチャン」の前提がわからないので答えられません。「クリスチャン」とは、「油をぬられて」天に招待されている人々のことに限定されるという考え方があります。(ペテ一 4:16)
