J.F.ラザフォード (1869-1942)

前回の記事、「間違いの原点」では、C.T.ラッセルが自分たちの年代学の間違いを指摘されても、「少しの考慮にも値しない」として退けたという点を取り上げた。

今回は J.F.ラザフォードの時代について取り上げる。彼はラッセルと同じ選択肢をとることになるが、彼や当時の仲間たちの確信の根拠とされていたものが何かを理解すると、この問題の本質を理解することができる。

1922年にものみの塔は自分たちの年代学を擁護する連載記事を掲載した。この時点ではバビロニアの粘土板の研究がオランダの Franz Xaver Kugler らによって行われており、ドイツ語による出版物も発行されていた。ラザフォードがこれらの研究について気がついていたかは定かではない。1922年の記事では「異教徒の資料」対「我々の真理の年代学」という構図で話が進められているが、まだ粘土板の研究については意識はしていないであろう。

この記事でラザフォードは自分たちの年代が「疑いようのないもの」と自信を持って語る。この点は現代のエホバの証人と基本同じものだ。しかし記事で取り上げられている彼の確信の元になる根拠は現在ではほとんどすべて間違いであったとエホバの証人が認めている内容であることがわかる。

ものみの塔 1922年6月15日号
年代に関する現在の真理は、もし1845年と2520年という偉大なサイクルがなければ、ただの偶然として片付けられるかもしれません。そのサイクルの繰り返しは偶然ではないのです。もし一つか二つの年代しかそれらのサイクルに当てはまるものがなければ単なる偶然の一致ということもあり得ます。しかし日付と出来事の一致が数十件もあれば偶然ではあり得ないのです。それは人格的な「存在」による意図的な計画であるとしか考えられません。それがエホバご自身であり、その年代学そのものは正しいに違いありません。
ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法と我々の真理の年代学との一致が一つか二つであれば偶然ということもあり得るでしょう。しかし一致が数十の寸法に見られることは同じ神によってピラミッドと年代計画がデザインされたことを証明するのです。
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そのような多くの一致点を基盤として、科学的にも認められている「確率の法則」と一致して、我々の真理の年代学は、聖書的にも、科学的にも、歴史的にも疑いようのないものなのです。その信頼性は1874年、1914年、1918年の出来事で余すところなく確証されました。

「1845年と2520年という偉大なサイクル」や「ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法」など聞きなれない言葉が出てくる。ラッセルやラザフォードが世俗の証拠を退ける原動力となっていたものをここに見ることができる。彼らは自分たちが神の導きにより聖書やピラミッドの寸法の中に偶然では考えられないような類似点を見出すことが出来ており、それゆえに自分たちの定めた(彼らは世々にわたって神に計画された年代だと考えていた)年代に確信を持つことが出来ると考えていた。

1922年のものみの塔を読み進めると問題の本質が見えてくる。なぜエホバの証人が、世俗の資料(いたって客観的な証拠)を退け続けるのか。それは自分たちにとって重要である年代がまず存在しており、それを守る必要がある。その年代にとって都合の悪いものは「異教徒の資料」として疑いをかける。そして「世」には与えられていない神からの啓発が自分たちにはあるという考えで決着をつける

ラザフォードが「エホバご自身の」年代学としていたものについては以下の附録から見ることができる。

わたしはピラミッド解釈や「聖書の暗号」もどきの過去の誤りについて、長々と書くつもりはない。しかし、エホバの証人の年代学の歴史的背景を理解していないと「BC607年と1914年」に関する問題は十分には理解できないのではないかと思う。その誤りは変容しながらもラッセル(ネルソン・バーバーから引き継いだ)からラザフォードへ、そしてその後のエホバの証人へ引き継がれてきたのである。

附録

 



「1845年と2520年という偉大なサイクル」や「ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法」については図を見ていただくと概観できる。(意味は理解できないが)

日本語に訳した上記のチャートが以下のサイトに掲載されている。

チャールズ・テイズ・ラッセル著『世々に渉る神の経綸』日本語版

 



「ギザの大ピラミッドの通路に見られる寸法」が何を意味しているかというとギザのピラミッドの通路を計測すると、その計測値から1874年や1914年などの重要な年代がぴったり割り出されるというものだ。英文であるが下の図とラッセルの著作をざっと見ていただくとイメージはつかめるのではないかと思う。

 

 

 

C.T.ラッセル著 聖書研究第二巻より