特集 - エルサレムが滅ぼされたのはいつか?

「ものみの塔」によると1914年に神の王国が設立され、1919年に「忠実で思慮深い奴隷」がイエス・キリストにより任命されました。協会はこの信条を受け入れない信者を「背教のかどで排斥(破門)してきた」と述べています。(塔86 4/1 31)

ある人が破門されてまで受け入れることを拒否した理由は何だったのでしょうか? あなたはこの重要な信条に関してご自分で真剣に調べたことはありますか?この教えは本当に信じるに足るものなのでしょうか?その答えを見出すためには1914年に関連する教理の土台になる「古代エルサレムが滅ぼされた年はいつか」という点を知る必要があります。

1.古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか 第一部

ものみの塔2011年10月号に掲載された記事に関連する内容です。ものみの塔は読者に誠実に事実を提示しているでしょうか?

2.古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか 第二部

ものみの塔2011年11月号の記事について説明します。数多く発掘されている粘土板が何を示しているか解説します。

3.動かぬ証拠を前にしつつも弁護を続ける弁護士のように

「ものみの塔」はこの問題に関してなぜ不誠実な態度を示してしまうのでしょうか?元執筆委員会のメンバーのコメントを紹介します。

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「ものみの塔」によって「証拠」として取り上げられた天体観測の粘土板。この粘土板は何を証明しているでしょうか?

5.学術的な不誠実さ 目ざめよ2012年6月号

著名な学者の言葉は「ものみの塔」を裏付けているのでしょうか?ものみの塔が読者に明らかにしていない「文脈」を提示します。

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この教理にまつわる協会の歴史

1.間違いの原点 – C.T.ラッセル

ラッセルの時代、すでに西暦前607年の間違いについて読者から指摘されました。しかしラッセルはその指摘を考慮することを退けてしまいます。

2.確信の根拠 – J.F.ラザフォード

ラザフォードは自分たちの年代が「疑いようのないもの」として語ります。 しかし彼の確信の元になる根拠は現在ではほとんどすべて間違いであったとエホバの証人が認めている内容です。

3.思い込み – J.F.ラザフォード

ラザフォードは1914年の教理に「主が」証印を押したと語ります。間違いを訂正するのが難しいのはなぜでしょうか?

4.神意による年代調整

1914年を動かさないように様々な調整を行ってきました。そこに「神意」は存在していたのでしょうか?

5.不誠実な記載

1929年まで「キリストの臨在は1874年に始まった」と教えていました。読者に対して自分たちの歴史を正直に語っているでしょうか?

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結論

1.明確な新バビロニアの歴史

新バビロニアの歴史は大幅に変えられることもあり得るのでしょうか?近年発掘された証拠は新バビロニアの歴史をより明確にしました。

2.極めて客観的な証拠

バビロンに関連する「商業関連の粘土板」が数万点発見されています。この極めて客観的な証拠はバビロニアの歴史について明確な年代を示しています。

3.誤解された聖句

西暦前607年を証拠づけると言われている聖書の言葉。実際には何を意味しているのでしょうか?